■「花々小話」
春。大江山華子が巡る桜紀行


「よっほっ」
軽やかな足音1つ。頭には杯をひっくり返したような不思議な帽子を被った、と言うか載せた少女。

早朝の空を思わせる淡い青から白へのグラデーション着物には、桜の花びらが風にそよぐ様があしらわれている。

腰巻の胸元には、やっぱり桜の花びらの柄のある扇子袋、腰帯には小さな巾着を括り付け、背には横笛―

手甲や高下駄など時代錯誤甚だしい装束の少女は、鼻歌を歌いながら歩いていた。

アスファルトの上で、木でできている下駄はよく響いた。

「この黒い道は歩き易いのはいいけど。下駄の減りが速いのがねぇ・・・」

ひょいっと片足立ちになり足底を見る。
ひらひらとどこからか舞い落ちた桜の花びらが、高下駄の歯の底にぺちっとひっつく。
それをひょいとつまんで

「どこもかしこも、この黒い道ばかり。そんなに地面は嫌かねぇ」

分からない、と言った顔で片足立ちのまま花びらを見る。
すると、目の前に人影が見えた。

「おっと、こりゃ失礼。突然立ち止まったもんだから邪魔してしまったね。」
少女はぴょんと跳ねて道を譲った。高下駄はいつものように響かなかった。

頭にカサを深く被った、初老の男はカサに手を置き、静かに一礼すると、少女の横をゆっくり通り過ぎていった。

「托鉢の坊さんかね。坊さんは昔も今も変らんからねー」
少女は花びらをぱっと放ると、そのまままたカラコロと歩き出した。

後ろで、坊さんと花びらがスッと溶けるように姿を消した事に少女は気が付かなかった。



・・・・・
ちょっと距離を置いたところに、黄色い帽子の一団が見えた。
あくびをしたり、ふざけあったりして楽しそうにしている。

「童子っ子は元気だねぇ」


うれしいような、少し寂しいような表情をして少女は歩みを進めた。
近づくにつれて、子供たちが話していることが少女の耳にも届いた。

だが、何を喋っているのか少女には分からなかった。

どうやら、今夢中になっているものの事であるらしいのだが、それがなんの事であるか少女には知る由も無かった。

少女は黄色帽にランドセルを背負った子たちと並んで歩き、1人1人を観察して行った。じゃれている子、楽しそうに話をしている子。
みんな華やかで洒落た格好をしている。少女は自分の服と子供たちのそれをちらちらと見比べてみたりした。
当て布も無い、薄布一枚で出来ていると思われるそれは、華奢な作りながらも清潔感があり、品の良さを感じさせる。

「ふうん、昔はよかとこの嬢ちゃんが着てたようなべべだ。」

子供たちの中に、ずっと下を向いて小さな箱を夢中で操作しているのがいる。

少女にとって、この箱は興味を惹くものだった。ずいっと身を乗り出して子供の持っている小箱の中を覗き込むとせわしなく小さな絵が動いている。

「ふぅん、これはなんと・・・こんな小さいものの中で絵が動くとは・・・」

そう言えば昔、広場などで子供たちに絵を見せながら話を語り聞かせる風景をよく見た。
子供たちはお菓子を食べながらそれを聞いていて、少女もそれに混じって―少女の場合、お菓子ではなく、酒を呑みつつであったが―気が向いたときに聞いたものであった。

しかし、ある時を境にとんと見かけなくなった。

そうか、アレはコレになったのか。少女はそう思った。


「邪魔してすまなかったな。ありがとう」
珍妙な小箱を持った子供にそう声をかける。うんとも言わず、子供は夢中でピコピコ手元を操作している。
フゥと少女は寂しそうに笑うと、ひょいと一息に天高く舞い上がった。
サァと一瞬吹き抜ける風が、さわさわと子供たちの髪を遊ばせた。

少女は空を飛ぶのがあまり好きではなかった。
歩くよりも断然速いし、良いことばかりじゃない。そう思うかもしれないが、少女はあまり空を飛ぶのを好まなかった。

「だってお酒が美味しくないんだもん」

それが一番の理由であるらしかった。
少女が言うには、歩いていく事で酒の味は変わるもので、何遍か飛びながら呑んだ事があるのだが、何とも味気なかったらしい。

それでも時々は飛びながら呑む事もするらしく、
「基本的に」飛ぶ事は少女の中であまりウェイトを占めない事だった。

飛びながら眼下の風景を見て、どこに行こうか少し考えた。
昔は眼下を走る色合いは緑一色だったように思うが、今では緑色を見つける方が難しい。

「静かな所がいいな。神社にでも行って、カラスを相手に一杯やるかな」

そう決めると、ひらりと風に乗って神社へと向かった。
・・・・・




「・・・しまった、忘れてた」

カァカァと鳴くカラスたちを前に少女は頬をポリポリと掻いた。
あの子供たち同様、自分を感知できるカラスが少なくなっているのだった。
何かが居ると鳴くカラス。
うーんと困っている所に、古株と思われる老カラスが騒ぎを聞きつけてやってきた。

「これは珍しい、この辺りにもまだ貴方のような方が残っていらしたとは。若い衆が騒ぐのも無理がない」

「私とした事が、うっかりしていたよ。驚かしてすまなかった」

「いえいえ、私たちも最近ではとんと鈍くなりまして、人間以外のお方に出会うとどうして良いのか分からぬ者も多く・・・」

「私の力も大分落ちているからね。アンタが居なければ退散するしかなかった有様さ」

「貴方さまはどちらかの童子さまで?」

「うん。・・・あ、家に居る方の童子っコではないよ。あのコたちはあんまり出歩けないからね。こんなナリしてるけど、元は大江山のね、鬼さ」

「そうでしたか、大江の・・・では・・・」

「うん。ま、あとは見ての通りさね。先代は結構やんちゃが過ぎたようだけど、私らの代は大人しい限りさ。いつのまにか角も無くなってしまって、今じゃ然したる力の無い文字通りの酒呑童子ってとこさ」
カカと笑う少女。

「我々を食べるのでなければいいのです」

「焼き鳥は好きだけど、焼きガラスには興味ないよ。アンタたちは元々黒いから、なんとなく体に良く無さそうだしね」

「美味しくないですよ。所で童子さまは何か御用で?」

「うん。特に大層な用もないんだ。花につられてやってきて、夜桜でも見つつ酒を呑もうかと思ってここに居るんだけど、それまで特にする事もなくてね。あたしの事を見れる人間も今じゃほとんど居なくてさ」

「その昔、人々にその姿を恐れられていた童子さまが、今ではお姿を見られなくて寂しがっておられる」

「カラスの口の悪さは相変わらずだね。その性根がちょっと良くなれば、色だってもっと白く美味しそうになるだろうに」

「あら、黒いのは心がそうだからではありませんわ。好きで黒くなっているのです。色々便利ですからね。美味しそうって思われないと言う事は食べられないって事で、身を守る事にも。童子様の角と同じです」

「ホントに食えないヤツだね、カラスってのは」

「多少図太くなければ生き残っていけませんよ。ただ、最近では私たちもあまり調子がよくありません。人間のゴミを漁る輩が昔から居ましたが、ここに来て目に余ることになっていて・・・」

「おや、図太いカラスにも悩みがあるのかい」

「ありますとも、ありますとも」

「面白い!聞こうじゃないか」



・・・・・
神社の境内、高い木の上で少女とカラスが賑やかにしている。
少女は頭に載せていた杯を手にし、そこにどこから出したか竹筒を取り出しお酒を並々と注いでいる。
話相手のカラス・・・今では少女よりも少し年上の、やはり少女の姿をした・そのカラス・・も、杯を手に紅い顔をして話をしている。

神社の昼下がり、お参りに来る人もちらほら、静かなものだった。丁度見ごろに咲いた桜を眼下にして、少女は気持ち良さそうに目を細めて杯を傾けた。

「聞いてくださいよ童子さま、それで・・・」

カラスはこうして酒を呑みながら話す事が久しくなかったらしく、話はとめどなく続いた。

「私、ちゃんとやってるんですよ?でも、下は言う事聞かないし、上はそれを私らのせいにするし・・・」

1つ話し終える度に喉を潤すために酒を呑むカラスは、もう相当な量が入っていた。
大江山の酒呑童子にお酌をさせるこのカラスは中々のものと、かつてを知っている者が居たならばそう評したであろう光景。
しかし、お酌をする少女の顔は実に楽しそうであった。

カラスの話を聞きつつ、空腹を覚えた少女は、腰帯に括り付けていた竹の皮のつとを外し、手早く広げた。
白いおにぎりが2つ、それからたくさんがちょこんと乗るそれを見て、カラスの会話が止まる。

ん?と言う顔でカラスを見る少女、カラスはおにぎりを見つめている。と、その時

ぐーぎゅるるー

と音がして、カラスが紅い顔を一層あからめた。

「・・・あ、あの・・・えと・・・童子さま?」

「プ、ハハッ、豪気な音がしたね!」

「しょうがないじゃないですか!童子さまが、そんなに美味しそうなおにぎりを出すから・・・!」

「食べるかい?」

「いいんですか?」

「ダメって言っても食べるって顔にかいてあるからね。2つとも取られないうちに、1つだけあげる」

「ありがとうございます!童子さま!」

「華子」

「え?」

「あたしの名は華子、大江山の華子ってんだ。童子さまってのはくすぐったいから、華子でいいよ」

「でも・・・」

「分かったんなら取りな。早くしないとあたしが2つとも食べちゃうから」

「わ、じゃあ頂きます、華子さま」

「2つともたーべちゃお」

「わー!ダメ!華子!」




・・・・・

2人で仲良く頬張るおにぎりは美味しかった。

「白いご飯だけのおにぎりなんて、どれくらいぶりだろう・・・」
カラスが1人呟く。人間の姿になっていても、なんとなくついばむように、少しずつ食べていく様がおかしかった。

「今ではめっきり稲穂を見なくなりました。田畑は少なくなって、人間達は家から家へ入っては出て行くだけ。それなのに食べ物は捨てられています。おかしなものです。」

人間はどこで作物を作っているのやら・・・はむはむとついばむように食べながら、カラスは1人ごちた。

「この辺りも随分変りました。変らないのはこの神社周辺くらいなものです。華子さ・・・えと、華子、外の世界も皆このような感じなの?」

ふわっと巻いた風にのって吹き上がった桜の花びらを摘んで、それを見つつ

「全部がそうと言うわけじゃない。今でも以前のような所は残っているよ。ただもう昔のような流れは感じないね」

パッと放した薄ピンクの花びらが、ヒラヒラと風に乗って流れていく。

「昔は昔で、色々大変ではありました。それでも、時々ふと昔に戻りたいと思う事があります」

カラスの話に耳を傾けながら、華子も今朝方の子供たちを思い出していた。
私の力が衰えてしまったのか。
それとも今では人間の方が鈍くなってしまったのか。
きっとどちらもなのだろう。あの子らには私が見えてはいなかった。
ううん、あの子らに限ったことではない。今に始まった事ではない。
夜が私たちのものから、人間たちのものになってしまったころから、この変化は急速に進んだ。

空に手をかざしてみると、自分の手が透けて形がなくなってしまうような気持ちになる。
それは最初、自分の心が虚ろになるとても怖いことだった。今でも怖い。
けれど、周囲の変化を見ていると、言葉には出来ないけれど、ああそうか、と妙に冷静に思える事があった。

「今この瞬間だって、すぐに懐かしい風景になってしまうもんさ。さ、今日はアンタと呑めてよかったよ」

「あ・・・」

まだ話したそうなカラス。華子は竹筒を腰に括り付け、杯の露を払うと、お天道様に掲げて、そのまますぽっと頭に載せた。

「アンタみたいに酒の強いのがまだ居てうれしかった。また呑もう」

「こちらこそ、つい私ばかり話しすぎてしまって・・・」

「また来るよ。今度はおにぎりを多めにもって」

「では、こちらは良い肴を用意してお待ちしておりますわ」

「カラスの肴、ねえ」

「あら、ミミズや昆虫は結構美味しいんですよ?」

「アンタたちとは食べ物は合わなそうだが、気は合いそうなのは分かったよ」

「フフ、いつでも寄ってらして下さいまし」

「うん。それじゃあな」

「道中、お気をつけて」

「ありがと!」

神社を後にして、空に舞い上がった少女の頬を、まだ冷たさの残る春の風が撫でた。



・・・
陽は傾き始め、西の空は薄紫と橙色の交じり合う甘い色合いを見せていた。

「お空の色だけは昔と変らないな」
そんな空を見ていると、ふとこのまま下界を見下ろせば、青々とした田畑が広がり、点々と見える家々から紫煙の上がっていた、あの頃に戻っているのではないかと言う気持ちが起こる事があった。その度に華子は、しばらく下界が見れなくなるのだった。

キュッと胸が締め付けられるような、この不思議な感覚。
幾分納まってから、華子はちらっと見下ろした。

いつもはガッカリというか、醒める気分にしかならないところ。今回は違った。

ちょっと距離を取った所にカラスが二羽飛んでいる。

「フフ、あたしを誰だと思っているのやら」

腰の巾着から木の実を2つ取り出す

「おう、見送りありがと!」
パッと実を放つと2匹のカラスは上手く飲み込み、
グワァと泣いて神社へと引き返していった。

それを見つつ、下を見ると、朝見た子供の姿があった。
朝のように一団ではなく、ポツポツと見える。

1人がしきりに探して回って、じっと動かない者も見える。
上から見ると筒抜けだ。

そのうちの1人がこちらを見たような気がした。
何となく目があったような気がして、反射的に小さく手を振ってみた。
するとキョトンとしながらも、すぐに笑顔になって手を振りかえしたように見えた。

「そうか、まだ私の事が見える童子っコも居たか」
うれしくなって意気揚々と華子は夕暮れの空を行った。



・・・・・
「さーて、今夜はこのあたりで夜桜と洒落こもうかね」
日中、楽しくやったせいか、夜は静かに呑みたい気分だった。
いつもならワイのワイの賑わう場所を選ぶ所だが、今日は色々想う所があった。

はらはら舞い落ちる桜の花。
人気も無く、ひっそりと咲いている株を選んで、しばしその立派な枝ぶりを眺めた後、竹筒を手に歩み寄って


「今夜はお月さんも見えるいい夜だ。一晩、お邪魔させてもらうよ」
そう言いつつ、竹筒の栓を抜くと、腰の巾着から小さな盃を取り出し、そこに並々と注ぐと、一度地面に戻し、また注ぎそっと根の上に置いた。

華子はどかっと地面に腰を据えると、頭の杯を手に、そこに酒を並々と注ぎ、桜を静かに見上げた。

「時は移ろい、変化はしても、こうしてお月さんを見上げて花を見ていると、昔も今も瞬き1つ、何も変ってないように思えてしまうね」

「雪と見えて 風に桜の 乱るれば 花の笠きる 春の夜の月」

「その声は」
おっと言う表情で振り返る華子。

そこにたたずんでいたのは、黒い帽子に、時計の柄の入った白いラインがアクセントに入った、でもやっぱり黒い洋服、それにちょっと古ぼけた旅行カバンと言ういでたちの少女だった。
濡れたようにしっとりとした光を放つ銀髪から覗く、うす黄緑の瞳は澄んでいて、その肌は白く透き通るよう。

「それ、西行さんかい?」

「ええ、最近ちょっとおっかけしててね。今はその帰りよ」

そう言いつつ帽子を取り、桜の木へと一礼し、よいしょっと黒服の少女は華子の横に並んで座った。

「風流ね」

「うん。呑むかい?」

「あらうれしい。頂くわ」
華子は嬉々として杯を渡すと、竹筒の栓を抜いて少女についだ。

つー、と一口に空けてしまう少女2人。
「今日は何か良い事あったんじゃない?華」

黒衣の少女が華子にお酌しながら口にする。

「お、分かるかい、珠。ちょっと昼間カラスと話してさ」

今度は華子が黒衣の少女にお酌をしつつ語る。

「カラス?」
首を傾げる黒衣の少女

「そ、カラス。あの黒いの。アレと呑んできたんだけど、中々面白いヤツでさー」

「カラスと、呑む」
黒衣の少女は更に首を傾げたが、ああと得心顔で

「そのコも、妖怪?」

「んー、まぁ妖怪と言えばそうかな?ああそうか、うん。見た目はあたしと同じ感じだよ」

「それで分かったわ、そのカラスさんが華とどんな話しをするのかしら?」

「そうだなー、一言で思い出話しかな。ちょっぴり甘酸っぱい」

「ふうん、思い出話ねぇ。永く生きている貴方だからきっとさたくさんあったでしょう」

「はは、永く生きてはいるけど、話して楽しい思い出ってのは案外少ないもんさ」

「そんなものかしら?」

「なんでもない時間の方が遥かに。あたしにゃ、そのなんでもない時間こそ価値があるんだけどね。カラスとは、年長者の憂鬱というか、そんな感じのね」

「何かあまり楽しい話じゃなかったように思えるけど」

「そうでもないさ。酸いも甘いも、色んな話が酒に彩りを与えてくれる。その時を味わえれば、楽しいんだよ」

「なるほどね。でも、あなたについて来れるなんて、そのカラスはかなりの呑兵衛ねぇ」

「そうだなー、話しぶりからしてかなりの古株だったみたいだし。昔を生きて居れば楽しみはコレくらいしかなかったしな」

「あなたと同じくらいならば、もうバケガラスね」

「だなー、容姿も持っていたし、久しぶりだったなぁ、ああいうの」

「また呑みたいと思ってるでしょ?」

「うん。急がなくてもまたいずれその時が来るさ。あ、そういえば名前、名前聞くの忘れてたなぁあのカラスから。自分は名のったってのに。アッハッハ!」

「華は顔で覚えると名前まで行きつかないんだから・・・」

「ハハ、生きていればまた会うさ。私はちょっと歩きたくなったから、またしばらく奥の方をブラつくつもりだよ。珠は?西行さんを追ってるとか」

「ええ、色々気になってね。詩句の舞台ウラが知りたくて」

「西行さんか、あたしもそこまで詳しくは知らないんだよなぁ」

「様々な句を残した人よ。特に花・・・桜についての句が多くてね。どんな風景を見て、それを想ったのか興味あってね」

「珠らしいねぇ。それで、何か分かったのかい?」

「そうねぇ、昔の夜は今よりももっと濃くて華やかで、それ自体が生き物のようだったわ。その中で輝く月の丸さと明るさ、浮かび上がる桜の姿、何となくだけど、西行法師が感じたものの一端を感じられたような気がしたわ」

「ふむふむ」

「でも、今こうして月と桜を見上げていると、あの頃と何も変ってないように感じるわ。きっと今西行法師をここに連れて来ても、同じように花の詩をつくるんじゃないかしら」

「そうか、聞いてて私も思い出したよ。あの空の濃さ、お星さんの瞬き。よし、呑もうや。一年に一度の桜、楽しむとしよう」

「そうね、花狂いの詩聖も、きっとこの時だけは筆を置いてどこかで花見酒を愉しんでいるはずだわ。こんな良い夜ですもの」

2人の少女の周囲を桜の花びらがひらひらと舞い落ちる。

そのころ神社ではー

「あの月も、この桜も、あのころと少しも変らないなぁ」
カラスが神社の小高い木の枝に止まり1人つぶやいていた。

「あのお坊さん、今年もまたやってきてる」

カァと一声なくと、その坊さんはカラスの方を向いて、会釈するようにかぶりものに手をかけ、すっと桜舞い散る闇の中に消えた。

「また来年会いましょ、桜のお坊さん。そして桜色の髪をした大酒呑みの華子さ・・・  華子。」

「へっくしっ」

「あらあら大丈夫、華?」

「ああ、うん、平気。誰か華子ちゃんのウワサでもしてるのかな?」

「案外、そうかもよ?最近あそこに顔出してる?」

「あ、いけね」

「フフ、じゃあきっとあの子よ。奥に出かける前に一度顔見せてから行きなさいな」

「わかったわかった」

「じゃ、続きしましょ」

「よしきた!」

そんな2人の少女の後ろで、何時からそこに居たのか、カラスの見た坊さんが月明かりにぼんやりと浮かび上がる。
手には杯を持ち、桜の花びらを浮かべたそれをゆっくりと呑み干す。
そしてしばし桜を見上げ、また音もなく桜の花びらと共にその姿を墨色の夜闇に溶け込ませるように歩き消えていった。

2人の楽しい声の響く桜の根の上、華子の置いた盃はいつの間にか空になっていたのだった。



花々小話 了